【クロネコヤマト】安くて早い宅急便を普及させた小倉昌男さん

こんにちは、ナオです。

仕事してるとクロネコヤマトの配達が来ました。爽やかなお兄さんです。さすがヤマト運輸。
今日は僕が尊敬しているヤマト運輸の元社長 小倉昌男さんについて書きます。

ヤマトクロネコヤマトは元々運送屋で大きな荷物などを運んでいました。

昔は宅配便は国が扱っていたので(民営化前の郵便の小包や旧国鉄の小荷物など)安く便利なヤマトのサービスで客を取られては既得権益を得てる役人達は困ってしまいます。

小倉さんはその他にも運輸局など国の権力を使った嫌がらせに堂々と立ち向かい、今の早くて安くて便利な宅急便のシステムを作り上げてくれたわけです。

僕は大学生の時に小倉さんの”経営学”という本を読んで大変な苦労をされて宅急便事業を成功に導いたことを知りました。
今までたくさんのビジネス書を読みましたがこの本は本当にお勧めします。
ビジネスを行いたいと思っている人はぜひ読んで見てください。

目次

昔の佐川急便はひどい(今は良いはず)

佐川急便のひどいところ

賄賂で運輸局を買収していた

佐川急便は運輸省に賄賂を渡して良いように運輸省を操った。そしてヤマト運輸に嫌がらせをさせた。
”東京佐川急便事件”、”奈良佐川急便事件”とこのようなことを起こしている。ヤマト運輸がパイオニアとして拓いてくれた道を佐川急便も後追いした上にこんな事するなんて酷すぎますよね。
不正にお金もらって言われた通りヤマトをいじめる運輸省も終わってるけど。

バイトした時、現場が本当に酷かった

高校生の時に友達に誘われて佐川急便の倉庫で働いたときの実体験です。

バラしたら怒られそうなくらい酷かったです。

労働環境も最悪。荷物を蹴るは投げるは僕は絶対に佐川で荷物を出さなと決めました。

「こんな重いもんネコに運ばせとけよ」とか悪口や卑猥なことを大声でペチャクチャ話しながら仕事しています。

僕達は体育会系で体力もあったので休憩もロクに取らせてもらえずこき使われまくりました。

友達が通路ですれ違った時に「ここマジでヤバイとこやん、、、」と言ってきて、終わって着替え室で会ったら真っ先に「ごめんな」と謝ってきたのをいまでも覚えています。

人生を面白くするのに経験は大切!佐川で働かせてもらったから後に読んだ”経営学”に夢中になれた

僕は佐川急便でのバイトの経験があったからその後に小倉さんの”経営学”を読んでより面白く感じたと思います。

いろんなことを経験すればするほど人生はより楽しくなっていきます。

と言っても本当に佐川急便はひどかったのか?

二十歳の僕は小倉さんが書いた本の内容と佐川急便のたくさんあるうちの1倉庫で1日バイトした経験で酷いところだと思ってしまってます。

小倉さんには感謝と尊敬の念を抱いています。
ただ人生経験を経たいま、本当にこれが真実かとも思います。

小倉さんが自分の都合の良いように書いた部分もあるかもしれないし、他の佐川急便の倉庫はしっかり管理されていたかもしれません。

”経営学”を読んで三越百貨店に行きたくなった

小倉さんの”経営学”の中では日本橋三越百貨店がクロネコヤマトにとって良い取引先であるということ利用してめちゃくちゃな要求をしてきたことが書かれています。

僕はその文を読んですぐに銀座に行くことになったのでちょっと足を延ばして日本橋の三越まで見に行きました。
大学生が何しとんねんって感じですが、この本はただの自伝ではなく大学生であった僕をそこまで惹きつけたのです。

そしてそれから15年後、仕事で三越百貨店へ毎月行くことになり本の中に書かれている裏口荷物入出口から出入りすることが出来ました。その際クロネコヤマトさんがトラックに荷物を載せているのを見て感慨深いことはこのうえありませんでした。
※ヤマトは三越と1979年に契約を打ち切った。31年後の2010年から再度受託契約を開始。

ほんまかいな? クロネコヤマトのロゴの原画

なんの話やねんってことで、ついでにもう一つどうでも良い話を。

僕は小さいころクロネコヤマトのロゴを見るのが嫌でした。

クロネコヤマトロゴ

僕には大人のネコが不気味な笑みを浮かべながら子ネコを連れ去っているように見えていました。子猫は捕まってしまい「もうあかんわ、、、」と観念してます。

クロネコヤマトの人にその話をしたら実はロゴの元になった原画があると教えてくれたのです。

クロネコヤマトロゴ2

いや、これ原画ちゃうやろ。

共通点あるとしたら不気味ってところだけやん。
本当にこれが原画で間違い無いというなら次のロゴリニューアルの時はぜひこれを使って欲しいです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次